―ホワイトクリスマス―



これから先の人生は二人だけの時間

休日には買い物に出掛けよう

連休にはガイドブックを片手に遠出をしよう

君の誕生日にはバラの花束と俺の時間をあげよう



なんて言っておきながら・・・。

結婚して三ヶ月、何ひとつ実行してもらっていない。

今年も後わずか。せめて今年最後のイベントくらいは、一緒にいて欲しかった。

外は雪。例年にない大雪で交通機関は大変そうだけど、街のムードはすっかりホワイトクリス
マス。


夜、ネオン輝く地上の光とクリスタルに輝く天上の星。

その間を私は歩く。

十年間歩いてきた私の道。







「二週間も前から予約していたのに!急に言われたって!」

「急に入ってきたんだよ。接待だ」

「接待?」

「仕事だ!」

怒鳴られて一方的に切れた電話。

勝手な男の言い分に、今まで我慢していた気持ちがプチン
と音を立てて切れた。

毛皮のコートを着てカードだけを握り締め、家を飛び出た。

雪が舞う。凍るような息。

結婚して少し荒れてしまった手。

冷え切った指先をコートのポケットで
温めながら、私を受け入れてくれる処へ。

いつでも帰っておいでよと、私を待ってくれている場所へ。




去年のクリスマスはどうしたかしら。

去年はまだ付き合い始めて間がなくて、一日一日が楽しくて、クリスマスは二人だけのメリーク
リスマス。


彼が私を抱きしめて 私に捧げられたメリークリスマス

お食事をしたわね 

お買い物をしたわね

映画を観たわね

そして二人でたくさん語り合ったわね


いつから話さなくなったのかしら・・・。

いつからすれ違うようになったのかしら・・・。

何も伝わってこない透の心。




「いらっしゃい、真澄ちゃん。来ると思っていたわよ」

ネオン瞬く一等地、バーのドアを開けるとカウンター越しにママの声。

無言のままカウンター席に座ると、若い男が私の後ろに回り、毛皮のコートを脱がす

。黙ってい
る私に、男は心なしか緊張しているよう。

いつもならありがとうくらいは言うのだけど、運が悪いと思ってね。

今の私はそんな気分じゃないの。


「久し振りだね」

変わらないマスターの微笑み。

私仕様のロックが前に置かれて、ひと息で飲み干す。

あぁ・・・ようやく少し落ち着いた気分。

やっぱりマスターは私のことをわかってくれる。

「ありがとう」

やっと笑える気分。

やっと皆とはしゃげる気分。



今宵はホワイトクリスマス

昔に戻って楽しみましょうか

そうね 昔といってもほんの少し前のことだもの

ケーキよりも 私にはお似合いのお酒でメリークリスマス

ひとりの男とよりも 幾多の男とじゃれあいながらのメリークリスマス



「マスターが甘やかすから、困ったものね・・・」

お酒の相手はお手のもの。ボックス席で客と談笑する私に、遠くからママの声。

甘やかされてなんていないわよ。厳しい夜の世界で私は頑張った。

そして手に入れたのよ。

私の思い。私の身体。私の・・・透。


透とは似ても似つかない男。酒臭い息でキスをせがむ。

「うふふっ、私のキスは高いわよ。ドンペリ一本でも安いくらいだわ」

軽く唇に触れただけで、ドンペリの栓が次々と開いて行く。


下卑な笑いも罪がなくていいじゃない

酔って自分を曝け出す男も可愛いじゃない

そうね けしてこの世界が嫌いだったわけじゃない

ただこの世界より 好きな男がいただけのこと



「真澄ちゃん。・・・真澄ちゃん!・・・また聴こえない振りね」

ママの溜息混じりの声。

私は少なからず怒っているのよ。だって甘やかすなんて言うんだもの。


「すみません。強情なもので・・・」

誰かがわかったように私のことを言う。

そんなことを言うのは透しかいないのだけど・・・。

心臓が早鐘のように打って、立ち上がり振り返った。

カウンターに、私の席に座っている透がいた。


「仕事なんじゃないの」

「何時だと思っているんだ。こんな時間まで仕事していたら労働基準法違反だろ」

笑えない冗談通りに透の目が笑っていない。

ギッと睨むように私を見る。昔から変わらない透の怒った時の目。

怒っているのは私の方なのに。


私のコートを脱がした若い男が、隅っこでボ〜ッと突っ立ったままこちらを見ている。

「帰るわ、コート」

いきなり言われて慌てるなんて、甘いのはあの坊やの方よ。

「あの・・・支払いは・・・」

支払う素振りのない私に、甘ちゃん坊やがおどおどと切り出す。

「何本ドンペリを開けさせたと思っているの?」

甘ちゃん坊やに泣きつかれたマスターが、苦笑いで私を見る。

ゴールドカードで支払えないわけないじゃない。ほんとにセンスのない子。

「それじゃ、俺もこれで。ママまた後日改めて・・・」

私に合わせて、透も席を立ち上がった。

私は透と帰るつもりはないのに、透は私の後を追ってくる。


「待てよ、真澄」

店を出て少し歩いたところで透につかまった。

肩を抱き寄せられて、がしっと強い力は振りほどこうにも振りほどけない。

雪は変わらず舞っているのに、25日夜中の0時を過ぎると、街はまるでシンデレラの魔法が
解けるようにクリスマスが終わる。

凍えるほどの外気さえも、透と一緒なら暖かい。

痛いくらいに掴まれた腕が私を安心させてくれ
るの。

もし今日がクリスマスでなかったなら、私はもう少し我慢できていたかしら。

特別なイベントが、私を少し我が儘にしたのかしら。







家に着いたのはそれから二時間後。

もう電車などとうになくて、二人で歩いて帰った。

酔いもすっかり覚めて、もういいわ。今年のクリスマスは透にあげる。

許してあげる・・・。

部屋に入るとすぐ、男のお約束通りに透が私を求める。

コートを脱いでリビングのソファに腰掛けた途端。

透が私をソファの肘掛に押し倒し、唇を重ねて来る。

キスさえそういえば最近はなかったのに・・・なんて余裕で考えていたら、思わず声を上げそう
になった。

透の指先が私の耳朶で動く。擦るように入れるように。

さりげなく身体を返されて、後ろから私の耳朶にキスをする。

指先と同じ動作で舌先が動く。擦るように入れるように。

一気に身体の熱が上がり、このまま抱かれるには癪にさわるくらいの快感。

ふわりと耳元で熱い息がかかったら、うつ伏せの身体の上から透の声。



「真澄。ごめんなさいは?」

「・・・何を言ってるの、謝るのは透の方でしょう?」

約束を反故したのも透だし、結婚してからは言っていたことなど全然実行してくれてないし。

せっかく許してあげようと思ったのに、また腹が立った。


「重いわ、透。疲れてるのよ、退いて」

「疲れるようなことをしたのは誰だ」

身体を起こそうとするのに、起こせない。透が私の背中を押さえ付けている。

「透でしょう!透がいけないんでしょう!今日だってそうだし、結婚してからは仕事ばかり
で・・・」

「我が儘だし、強情だし、甘やかし過ぎたな」

だんだんと変わる透の声の調子。ひと言ごとに抑揚がなくなって行く。

「本当にママの言う通りだ」

「ママ・・・どうせ電話でも掛かってきたんでしょう。黙って席に座っているなんて、いい趣味じゃ
ないわね。
あぁそう言えば、黙っているのが一番いけなかったのよね」

これ以上言うとこじれるばかりとわかっていても、腹立ちまぎれについ言葉が出てしまう。


「ママの話は真澄から何度も訊いたよな?お前がどこにいるかなんて、そのくらい俺はわか
る」

「・・・透」


何度も透に話したママのこと。ママは私をとても可愛がってとても叱ってくれた人。

マスターはい
つも優しく慰めてくれた人。

あのお店は私の心の拠りどころ。


「結婚して家庭が出来て、守るものが出来て。そしたら仕事だって半端には出来ないだろ」

「だからと言って約束を破ってもいいの!」

「真澄、今日のことは予定だ。予定は未定。もう少しお前が待っていたら、他の店で食事が出
来ていたはずなんだよ。
何でも思い通りにならないと我慢できないのが、我が儘って言うんだ」

うつ伏せの私に透の顔が見えない。どんな顔をして言っているのかしら。

きっと、さも尤もらしく・・・。


「私は我が儘じゃないわよ。結婚してから透には嘘ばかりつかれて、でもずっと我慢していた
わ!」

「二人の時間は長いんだよ。たかだか二、三ヶ月程度のことをずっととは言わないだろ。
ついで
に、自分の我が儘を認めようとしないのが強情って言うんだ」

透のせいなのに。怒っているのは私なのに。

いつのまにか私の我が儘のせいになって、透が怒っている。


「ママが言っていたよ。たぶん三ヶ月もしたら店に来るだろうってね」



―篠田さん、あなた真澄ちゃんを甘やかし過ぎね。うちのマスターと同じよ。
あの子の我が儘は
一人で生きて行くには良いけど、二人で生きて行くのなら直してあげないとね―



十六歳で家を出て、夜の世界を一人で生きて行くには精一杯我が儘で、強情でなければ潰さ
れてしまうの。


透が私の背中越しに上体を近づけて、そっと言ってくれた。

優しい声で愛しく包むように。

「俺がいるのに、もう真澄は一人じゃないだろう?」

透は変わらない。中学一年で知り合った時の真直ぐな性格のまま。

私はずっと好きだった。昔も今も。


「俺はそう思っているのに、お前は平気で他の男とキスするんだな・・・」

再び抑揚のない声がしたと思ったら、私に覆いかぶさっていた透の上体が離れた。

「もう・・・重いったらないんだから・・・」

透に見られていたバツの悪さを文句で誤魔化して、でもあんなのはキスとは言わないわ。

「舌は入れてないわよ」


ばちぃーーーーん!!


「きゃぁぁぁっ!」

「そんな問題じゃないだろ」

いきなり襲ったお尻の痛みに驚いて振り向くと、透が右手を振り上げていた。

「きゃぁぁぁっ!やめてぇー、透!」


べちぃーーーーん!!


「クリスマスが終わっていてよかったな、真澄。とんだプレゼントになるところだ」

「いやあぁぁんっ!いっ痛ぁい!」







もし今日がクリスマスでなかったなら、私はもう少し我慢出来ていたかしら。

特別なイベントが、私を少し我が儘にしたかしら。


ネオン輝く地上の光とクリスタルに輝く天上の星。

その間を私は歩いてきた。

十年間歩いてきた道の、その先は透と歩く―。







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